大蛇山伝説三池地方に昔から伝わる大蛇山伝説と三池の地名にまつわる伝説は次の様なものです。 昔々、三毛の地に三毛中納言師親の娘で、それはそれは美しい「玉姫」という姫君が「ツガニ」を大層可愛がっていました。 年が流れて姫が、十八歳の春を迎えた時に、三毛の地に不幸をもたらしていた山奥の「大蛇」を鎮めるために、人身御供として、さしだされる事になりました。 そして世にも恐ろしい大蛇に、今にも飲み込まれそうになった時に、巨大なツガニが現れ、大蛇を頭・胴・尾と三つに断ち切りました。 その時より山には三つの池が出来たとか。以来この地は三池といわれる様になりました。 現在も三池山の中腹には、水の枯れることがない三つの池があります。 今日まで「大蛇山」は祇園祭の神事として伝えられています。 江戸時代初め頃の三池(三毛)地方は、荒地が多く農産品の収穫は不安定、さらに疫病もはやり、時の領主により悪病よけと 雨乞いへの強い祈願が込められ、祭神を悪病よけや農業の神とする「祇園」のお宮が造られました。 三池祇園の大蛇山は、古くからの水神信仰と三池藩の立花氏により導入された祇園信仰の二つの要素(どちらも農業に関係する神様である)により、やがて祇園の祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」の形が出来たと言われています。 大牟田市には、祇園神社が六つあり「祇園六山」と言われ、それぞれに大蛇山を祭礼行事として行っています。 その歴史やしきたりは神社で異なり「大蛇の顔や色」「ホラ貝の吹き方」「楽と囃し」「かけ声」「山の引き方」など、それぞれの特徴がある。(祇園六山の大蛇山写真を参考に) 「かませ」ー大蛇の口に子供をかませると、その年は無病息災で子供が泣くほど御利益があると伝えられている。 「山崩し・目玉取り」ー祇園大蛇山祭の最後を飾る行事として勇壮な大蛇山の山崩しと目玉の争奪戦がある。勇壮な大蛇山祭は大牟田の夏祭りとして定着しています。 *「祇園六山」とは |
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大蛇山まつりは三池地区より始まった大牟田の祇園祭です。 | |||||
大蛇山の歴史大蛇山の歴史は記録によると、1852年(嘉永5年)三池祇園のお祭りで、30人が山をひき、製作には竹、角縄、煙硝,、硫黄が使われていて、これが原型のようですが、始まりはお宮建造の1640年以降、1791年の間と考えられます。祇園の祭りとしては珍しく、この地方独特の祭礼行事が大蛇山祭りだと言えます。 地酒・焼酎・大蛇山・三池蔵・江頭酒造合資会社では、
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地酒・焼酎・三池藏の「大蛇山」の製品 |