地下に眠る
 この大牟田の地下に眠るていうと、「石炭」て言おごつなるかもしれんばってん、大牟田の地下には、たしか、あんまり石炭はなかと思う。なしかていうと、三池炭坑は有明海の地下ば掘りよったけん。ワカルカナ?ワカンネエダロウナ?(死語=23?)

 大牟田に三池工業高校がある、昔?の人は、三井工業て言いよらした。
 ここは、元三池集治監(刑務所)があった所で、現在も塀の一部が残っている。
 明治維新の後、あちこちで、反政府の反乱が起きていた頃、その反乱で捕らえられた、政治犯たちが、ここへ収監され、炭坑で、働かされよったげな。

 現在、北朝鮮の拉致問題で、北朝鮮がよく言うのは、かって日本が行った拉致のことばってん、そんこつは確かに事実やし、こん大牟田ちゅうか、三池炭坑で働かせるために、そん頃日本が侵略しとった、朝鮮半島や中国から、多くの人ば捕まえて連れて来よったていうことは、みんなが、忘れんようにしとかんとでけんと思う。

 
 この街の地下には、いろいろな人々、その人々の思い、いろいろな歴史、いろいろなものが眠っている。ただ、歴史という長い流れの中で見ると、ほんのひとときの時代でしかない炭坑というもののために、多くの人々がこの地下に眠っているということを、どう、考えればいいのだろうか・・・。

 かって、囚人やいろんな所から連れてこられた人々が炭坑で命を落とし、葬られた場所で、はっきりしている所は、数少ない。
 俺が、今住んでいる所は、遠い昔は海だった所だ。ただ、三池炭坑が始まった頃?には、陸地になっていたはずだし、今の家が建つ前は鉱山の職員社宅だった場所だ。ましてや、すぐそばの、俺も通った中学校は墓場のあった所に建っていた。この地下にも眠っている人々がいてもおかしくない。決して、脅かしたり、興味本位のホラー話をしたいわけではない。そういう、重たい歴史というものを、しっかりと、自分で感じていないと、いけないのかな? と、思う今日この頃なのです。(やっぱり、もう、トシばい!)

 明治6年(1873年):囚人の炭坑就労開始。佐賀の乱、熊本の神風連、萩の乱、秋月の乱などの政治犯

 昭和5年(1930年):囚人採炭作業全廃。

 昭和16年(1941年):強制連行朝鮮人使役

 昭和18年(1943年):戦時捕虜・中国人使役

 昭和20年(1945年):終戦。開放された朝鮮人労働者約2,300人、中国人労働者約2,350人
 
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